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憲法学習会「今こそ学ぶ平和主義の原点―日本国憲法の誕生を読む」

講師・古関彰一氏(獨協大学名誉教授)による講演の様子(2025 年 11 月 29 日)

日時 2025 年 11 月 29 日(土)14:00?16:30
会場 静岡市労政会館 5 階
主催 しずおか 9 条ネットワーク
講師 古関彰一氏(獨協大学名誉教授・憲政史)

高市政権による改憲・軍拡が加速する中、日本国憲法の成立過程と平和主義の原点を学ぶ学習会が開かれました。1989 年に吉野作造賞を受賞した憲政史の第一人者・古関彰一氏(獨協大学名誉教授)が講演しました。※この憲法学習会は、社民党関係者も開催に協力し多くの党員・協力党員・サポーターが参加しました。

古関彰一氏の講演― 3つの論点

論点① 憲法 1 条の「統合」という英訳について

「国民統合の象徴」の英訳について、法務省公式訳もGHQ 原案もともに「unity(統一)」を使っています。憲法 1 条の「統合」は、政府案を作る際に、幣原首相が考えた用語です。「統合」は「統一」よりも国民が天皇と一体になってしまうので、憲法 13 条の「国民は、個人として尊重される」に矛盾するので不適切だと古関氏は指摘しました。


論点② 九条の「放棄」と「廃止」の違い

 GHQ が作成した最初の三原則では「廃止 (ABOLITION)」でしたが、実際の九条には「放棄(RENUNCIATION)」が書き込まれました。 1929 年に「戦争放棄条約」が批准され、日本は、条約の「戦争放棄」に「自衛戦争」は含まれないと解釈したことを、幣原外相(当時)は知っていたので、「放棄」を選んだ可能性があると古関氏は指摘しました。

論点③ 憲法九条と日米安保条約の関係

 1950?60 年代のフルブライト上院外交委員長は、「九条がある限り日米安保は対等な双務的軍事同盟にはなれない」と明言していました。古関氏はこの史実を根拠に「九条護持こそが日本の対等外交の根拠になる」と論じました。

フルブライト委員長報告(1960 年)の概要

 1960 年、日米安保条約の改定にあたり、当時の米上院外交委員会委員長J・W・フルブライト議員 (アーカンソー州選出・民主党)が委員会報告書をまとめ、条約締結権を持つ上院本会議に提出しました。

報告書の核心:「憲法上の規定」=九条

 日米安保条約第 5 条には「自国の憲法上の規定及び手続に従って行動する」という文言があります。フルブライト委員長はこの「憲法上の規定」が具体的に何を指すかを報告書の中で明確に述べました。それは日本国憲法第九条のことであり、九条が存在する限り、日本はアメリカが攻撃された際に共同して戦う義務を負わない、つまり日米安保は「片務的」な性格をもつ同盟であり続けるというものです。

なぜこれが重要か

  • この発言はアメリカ側の公式文書に残る一次史料です。「九条はアメリカに押しつけられた」という論と表裏一体で、「だから改憲してアメリカと対等に戦える国になれ」という主張が繰り返されてきました。しかしフルブライト報告は、アメリカ自身が九条の存在を前提として安保条約を設計し、日本の軍事的負担を意図的に限定的なものとしていた事実を示しています。
  • 1960 年の安保改正の際に、米国側は、改正したいのなら九条改正が必要だと主張し、岸信介首相は 10 年以内に九条を改正することを条件に、米国側は暫定的に安保改正を認めていま す。ところが 9 条はいまだ改正されていません。
  • 安保法制(2015 年)によって集団的自衛権の一部行使が「合憲」とされ、今や「反撃能力」の保有まで進んでいますが、これはフルブライト報告が前提としていた九条の枠組みを根底から変えるものです。古関氏は「現在進行中の改憲・軍拡路線は、九条をめぐる戦後の日米合意を一方的に覆すことに等しい」と指摘しています。
  • 九条を守ることは「弱腰」や「理想論」ではなく、1960 年以来のアメリカとの合意を誠実に守り、日本が攻撃の標的とならないための現実的な選択です。フルブライト報告はその根拠となる歴史的証拠と言えます。


古関彰一氏のプロフィールと主要な研究

 古関彰一氏(1943 年生)は獨協大学名誉教授で憲政史・外交史を専門とします。1989 年に『新憲法の誕生』(中央公論社)で吉野作造賞受賞。議事録・外交文書・一次史料の精読を方法論の基盤とし、以下の三点で学術的評価を受けています。

① 憲法の制定過程論

 「押しつけ憲法」論も「完全な自主立案論」も事実と合わない、というのが古関氏の結論です。松本烝治委員会の保守的改正案が行き詰まり、 GHQ が直接草案作成に動いたいきさつを重視し、制定過程を「日本政府・GHQ・民間(鈴木安蔵ら憲法研究会)の三者の相互作用の産物」と位置づけています。

② 九条論

 古関氏は、GHQ 案にも政府案にも「平和条項」はなかったと指摘しました。

 「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文言は憲法前文ではなく第九条第一項の冒頭に置かれており、社会党の鈴木義男議員らが帝国議会審議(芦田委員長)において九条の条文構造に積極的に関与した結果、現在の形が確定しました。九条の主眼は「平和の希求」という理念の宣言ではなく、戦争・武力行使を国際法上違法なものとして禁止することにある、というのが古関氏の解釈です。したがって「九条=平和主義」という私たちが慣れ親しんできた通念は、条文本来の趣旨よりも後から定着した解釈であると古関氏は指摘しています。

③ 対米従属論

 2020 年刊の『対米従属の構造』(みすず書房)で、戦前の「天皇(国体・統帥権)」という絶対的システムが戦後は「アメリカ(安保・ガイドライン)」に置き換わっただけだと論じます。指揮権密約・核密約など大量の秘密協定がその構造を支えており、戦前から戦後を貫く「構造的な連続性」があると指摘。成田龍一・水島朝穂・君島東彦ら著名研究者から高く評価されています。

宮沢俊義の理論と今日的意義    

 同学習会では、戦後憲法学の礎を築いた宮沢俊義(189~?1976 年)の理論についても解説がありました。宮沢は東大憲法学者として美濃部達吉の後継者となり、戦後日本の憲法通説の大半を形 成。弟子の芦部信喜らに継承されました。

「八月革命説」とは

 宮沢は 1945 年 8 月のポツダム宣言受諾を「法的な意味における革命」と解釈し、主権が天皇から国民へ移行したと主張しました(「八月革命説」)。これは明治憲法の改正手続きを経て国民主権を定めることの理論的矛盾(改正限界の超 過)を克服するために構築された理論です。

 なお「ポツダム宣言受諾を革命と読み替えるのは空想だ」「占領軍の存在を消去するための方便に過ぎない」という批判もあります。

GHQ 草案と宮沢俊義(古関氏の論証)

 GHQ 草案が日本政府に手交された翌日(1946 年 2 月 14 日)、東京大学は宮沢を委員長とする憲法研究委員会を設置しました。弟が毎日新聞記者だったことなど複数の情報源を持っていた宮沢 は、帝国議会や行政府に先回りして憲法解釈のイニシアチブを確保しようとした、と古関氏は一次史料から論証しています。

今日的な意義

 九条を守るためには、日米安保条約との関係を正面から論じることが不可欠です。フルブライト委員長の発言と古関・宮沢両氏の研究が共通して示すこの教訓は、高市政権下で改憲・軍拡が加速する今こそ改めて深く学ぶ価値があります。  憲法の成立過程を正確に知ることは、「押しつけ」論に惑わされず、私たち自身の問題として九条と平和主義を守り抜く力になります。


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