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臨時大会に続いて全党員集会が開かれ、服部良一前幹事長から衆院選「沖縄2区問題」について詳しい報告がありました。 ◆ 「社会民主党静岡県連合 2026全党員集会 報告資料」 衆院選沖縄2区擁立問題について 社民党選対委員長 服部良一 衆議院選挙は、突然の解散劇の中、高市自民党は316議席という単独政党で3分の2以上を取る歴史的な大勝に終わった。前回の衆参選挙で与党が過半数割れになったことと比較すると、有権者のブレは異常なまでに大きい。その分析は別の機会に委ねるとして、沖縄で4つのすべての選挙区で自民党が勝利する結果となり、今年9月の県知事選を前にして衝撃が走った。ところが地元紙をはじめ沖縄2区に社民党が候補者を擁立したことがあたかも敗因であるかのように報道され、またその報道を、沖縄県連内部をはじめ多くの方々が細かな検証をすることなく受け入れていることに大きな疑問と危機感を感じる。 そもそもの引き金を引いた新垣前議員の離党、中道改革連合(以下「中道」)の発足と新垣・屋良前議員の入党、オール沖縄が2区・3区・4区で中道の候補者を推薦したことなど、この間の経過を丁寧に分析していかなければ本質を見失うのではないかとの思いで、この所感を書くことにした。 1,中道と社民の票を足したら勝っていたのか?!
まずは得票数の分析から始めたい。直近の3回の衆院選の沖縄2区の得票数は以下の通り。
まず一目瞭然でわかることは、今回自民・維新が与党を組み、維新が沖縄2区から撤退したことで、24年の得票数から見ると自民に集まる与党基礎票は70.231となり今回の得票数と僅差である。中道が発足したことでこの票から公明票が一定数逃げたと見られるが、一方高市人気で公明票の目減り分を補ってほぼ同数の票数となったと思われる。 一方新垣候補はまず社民党を離党した時点で「裏切り」「失望」と感じた一定数の社民支持者の票が離れた。実際離党に怒った有権者の多くの声を聴いた。 現職ただ一人の衆議院議員を失うことが党にとっていかに打撃か、国会運営上はもちろん、財政的な面、党員のモチベーションにも大きな影響がある。ショックを受けた人も多い。しかも党公認で当選してまだ1年しかたたない。 加えて、中道に入党した時点で、辺野古の基地建設容認の安住幹事長発言もダメ押しして、安保政策の転換に納得しないリベラル票の離反を招いたものと思われる。それを可視化したのが瑞慶覧候補の1万4千票ではなかろうか。瑞慶覧候補が立候補しなければ新垣候補に票が流れたと言うのは幻想であり、もちろん消去法で一部流れるのは否定しないが、足し算して新垣氏が勝っていたと言うのはあまりに単純で雑な見方と言えるのではなかろうか。 中道の候補者は全国で投票数を大きく減らした。比例票においても立憲と公明の前回の合計票を約700万票(40%)減らした。 3区の屋良氏も1万票近く減らしており、これも「中道現象」と見ることが出来る。逆に1区共産党赤嶺氏は3千票増やしており、リベラル票の目減りはなくむしろ公明票が加算された結果と見える。そうした結果から見れば、新垣氏は社民党公認のままか、あるいは中道でなく無所属で出た方が、勝機があったのように思えるが、いかがか。/p 2,「新垣離党」の本音は 新垣議員の離党を巡ってはそれを招いた社民党としても大きな責任を感じておりお詫びしなければならない。離党に至った過程でその理由とされ繰り返し本人の口から出たことは、以下の2点であった。 一つは「党勢拡大に向けた選挙戦略について党内で意見の不一致があった」と党首の衆院選へのくら替えが実現しないことをあげた。この問題は昔から党内で議論になってきたことではあるが、そのことを離党の理由にするのは理解できない(ここでは詳細は述べない)。 二つ目は、「後援会からもっと大きいところでやったらどうか」の声があるのだと言う。 特にこの二つ目の件については、24年10月の前回の選挙の時から出ていた。 24年9月13日新垣議員と塚田秘書、県連照屋委員長と私でいずれ解散が近い中選挙対策の打ち合わせを行った。選挙区では保守層へのウイングを広げていくとの方針が強調され、社民隠しとも感じた。その後石破政権が発足し解散、10月の選挙戦終盤で比例チラシの配布を2区内でやろうとして新垣選対からストップがかかった。比例のチラシをまかないで欲しいと言う事だった。私はその場では引き下がったが内心腹をたて、読谷村内で比例チラシ配布をした。選挙結果は「ゼロ打ち」の堂々たる勝利だったが、社民党は九州ブロック比例復活もなく、新垣議員からは「待てども待てども当選者がでず、後援会から社民党で大丈夫か、もっと大きいところでやったらどうかの声が上がっている」との弁であった。昨年の離党問題はその1年前からくすぶっていた訳である。 では「大きいところ」とはどこか、それは立憲しかないのは当然である。水面下で屋良朝博議員や国対委員長同士で懇意の安住議員とも接触が始まったと思われる。 従って私は、「福島党首の衆院選転戦の可否」は離党の理由付けのひとつにすぎず、次期衆院選は社民党公認ではなく立憲から出ることで腹が固まっていたと感じている。だから参院選が終わってすぐに動き出し、年末年始の解散があり得る情勢の中で、離党を急いだと思われる。そうでないと11月2日の離党記者会見直後に小沢派の会合に出席したり、中道の発足集会の直前の1月19日に早々と入党表明したりする手際よさはあり得ない。 3,オール沖縄の混乱を招いたのは社民党か中道か? 昨年9月新垣議員の離党が表面化し、会派沖縄の風の伊波洋一議員と度々連絡取り合った。と言うのは、伊波さんは26年9月の県知事選を心配してオール沖縄が混乱することは避けたい、特に衆議院の4つの選挙区を1区共産、2区社民、3・4区立憲ですみわけ共闘しているバランスが崩れる、知事選までは離党など無用な混乱を持ち込まないで欲しいとの意見で、9月28日には関係者数名で直接新垣議員に説得に当たった。 また私からは新垣議員に社民党を離党した場合、れいわ新選組が沖縄2区で擁立に動く可能性があることを繰り返し指摘した。案の上、11月初め離党表明が伝わると、れいわはすぐ動いた。沖縄の2区・3区のエリア、浦添市・宜野湾市・沖縄市などに山本太郎代表が入り5か所で集会を開催した。沖縄市内では300人を集める盛況だった。山本代表は沖縄で衆院候補擁立する旨を記者会見で断言した。私も危機感を覚え、昨年12月ラサール石井議員と一緒にれいわの山本太郎議員を訪ね、沖縄2区での擁立について断念するように依頼をした経過もある。 この時期党内外のいろんなチャンネルで新垣議員の説得にあたったが、残念ながら聞いてもらえなかった。 新垣議員の離党で、24年間社民党が選挙区から出してきた沖縄2区で社民党の候補者がいないことへの危機感が県連内で高まった。候補者を探そうと言う声も上がった。一方で離党したといえども今まで社民党の看板で頑張ってきた新垣さんを押そうと言う声もあった。そんな中で瑞慶覧長敏元衆議院議員、元南城市長から立候補を検討してみたいとの声が上がったのである。 県連の中では賛否両論となり、県連としての結論が出ないことを正直に本人に報告したところ、無所属でも一人でも沖縄のために闘うとの強い決意が示され、県連内で共鳴が広がった。従って、無所属でも闘うと言う事であれば、社民党の有志として応援していくことも県連内では相談された。全国連合の対応としてはその時点では沖縄の世論の動向を見ていこうと慎重な姿勢であった。一部マスコミに書かれているように「東京から乗り込んできて党存続のために」「党利党略で」擁立するというものではない。沖縄の中で沖縄側から闘う意思が示されなかったならば、一方的に党本部で決めるなどあり得ないことだ。 しかし状況は大きく動いた。立憲と公明党が中道改革連合と言う新党を結成することになった。1月19日その綱領が発表され愕然とした。我々が違憲立法として反対してきた集団的自衛権を認める「戦争法(安保法制)」を合憲とし、憲法に自衛隊を位置づける憲法改正の深化をうたうものであった。 また安住幹事長(当時)が辺野古の新基地建設の容認を記者会見で表明し沖縄では衝撃が走った。その同じ日に新垣議員は中道新党への入党を表明したのである。しかしその思惑は完全に裏目になったのではないか。社民党全国連合は引き続き中道の政策、特に辺野古容認への沖縄県内世論動向などを見極めながら、解散後の土日に常任幹事の賛否を聴取して、まさに公示日の前日1月26日に記者会見で「立憲・社民会派」からの離脱と沖縄2区の公認決定を発表したのである。党内にも賛否があり、沖縄県連内では離党の動きも表面化する中で、しかし中道の政策転換は許容できず、選択肢を示す決断に至った。 オール沖縄は選挙区応援候補を1区共産党赤嶺議員、2区中道新垣議員、3区中道屋良議員と決定し、バランスが悪すぎると4区は空白としたが、結局は4区も中道の砥板候補を応援することに決めた。オール沖縄が4つの選挙区の内3つを辺野古容認の中道政党の候補者の応援を決めたこと、社民党の候補者については応援しないどころか擁立したことを非難する会見を開いたりしたことは極めて残念である。なお、日本共産党沖縄県員会は2区については新垣候補も瑞慶覧候補も支援しない扱いとなった。 衆院選の結果はオール沖縄が全敗となった。いまだに社民党の擁立のせいにする論調が聞こえてくるが、本当の敗因は何か、中道の政策転換と、加えて中道の不評と失速にあると思うが、いかがか。 4,中道の政策に沖縄の未来は託せない 沖縄の地元紙をはじめ社民党への批判が続く中、中道への批判の記事が少ないのが気になる。2区については「オール沖縄分裂」という文脈で「社民、中道候補に対抗心」(沖縄タイムス)の報道で、そもそもオール沖縄にとって中道の政策をどう評価するのか全く論表が見当たらない。ただ「辺野古容認発言の釈明に追われた」という程度だ。 オール沖縄の幹部と面談した時「立憲の安保政策は問題あるが、公明党は平和の党だ」と肯定的な見方が語られた。その場で反論はしなかったが、今回の新党への合流ではむしろ公明の与党の時の政策と大きな齟齬がないように、立憲側で政策を変更した流れになっているのは明らかである。 従ってここでは中道の政策が、沖縄が抱える課題にどこまで共感や力を持ち得るのか否かを考えてみたい。 以下1月19日に出された中道の政策第4の柱「現実的な外交・防衛政策と憲法改正論議の深化」を指摘したい。
第2項の下線部分が、今まで安保法制の「違憲部分を撤回」するとしてきた箇所を変更し合憲とした部分である。ここでいう存立危機事態とは「日本と密接な関係にある他国への攻撃により、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある」ものだが、日本が存立危機事態と認識すれば自衛隊は米軍とともに参戦、集団的自衛権の行使になる。 この事態を「台湾有事」と重ねて考えれば、沖縄や南西諸島にミサイル基地や弾薬庫などを急ピッチで整備している現状を見ると、まさに沖縄が戦場になる深刻な事態と言わざるを得ず、ありえない、あってはならないことだ。合憲論は裏切りであり撤回を求めたい。 安倍政権が閣議決定で集団的自衛権行使を決定し2015年戦争法(安保法制)が国会を通過した。多くの野党と市民が「立憲主義を取り返す」と声をあげ闘ってきたし、選挙協力も進めてきた。その10年の闘いの歴史を反故にするものであり、断じて認めるわけにはいかない。 立憲と公明の協議は参院選直後からスタートしたと言われている。一方中央の平和フォーラムは昨年の 9 月 19日安保法制10周年で、19日行動に区切りにつけ撤退することを決めた。某マスコミ情報では公明との合併を平和フォーラムの有力産別委員長が後押ししていた情報もあり、水面下で符合する動きと疑わざるをえない。 今年の3月19日の!9日行動はペンライトを持った多くの若者の参加もあり1万1千人が国会前に結集した。政党挨拶は社民党と共産党の2党だけだったが、市民や若者との連携で今後の盛り上がりを期待したい。 中道の政策の第4項の改憲ももっての外である。自衛隊を憲法上に位置付ける9条改憲案はまさに安倍政権で出された自民党の第2次改憲案に通じるものであり、9条改憲に道を開くもので絶対に認められない。 沖縄の日本復帰は、27年間の過酷な米軍統治を脱却して9条を持つ平和憲法下の日本に復帰して基地のない平和な沖縄を望む県民の声の結集であった。9条改憲を許容するかの基本政策を掲げる中道をオール沖縄が支援することが理解しがたいものである。事実中道の新代表になった小川氏は記者会見で「自衛隊の明記があり得ないことだとは思っていない」と本音を語った。改憲賛成の衆院選当選者が93%を占める状況で、そんな中途半端な気持ちで9条を守れるわけがない。 安住前中道幹事長の辺野古容認発言は沖縄に衝撃を与えたが、中道に移行していない立憲沖縄県連は中道に抗議申し入れを行い、中道から衆院選を闘ったオール沖縄の候補者については個人の信念は曲げないと取り繕っている。だがそんな甘いものではないと考えている。中道から九州比例で当選した県出身者金城泰邦議員は、辺野古新基地は容認と断言しているが、今回の合流新党はその流れを加速させる。中道に期待しても中道から裏切られるのを待つだけだろう。 中道の政策がすべて悪いとか言っている訳ではなく、選択的夫婦別姓など政策実現のために連携していくことは当然だが、こと安保問題については期待できないのは明白だ。 最後に、沖縄地元紙の社民党たたきが止まらない。しかし社民党は中道のように改憲、日米安保基軸の政治でなく、はっきりと辺野古NO!基地撤去を訴え、憲法を守り、平和な島沖縄をめざしてぶれずに戦って行く。必ずその思いが県民の皆様に伝わることを信じたい。 | ||||||||||
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