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Top > くらしと平和を守る活動 > 違憲立法審査権で悪法をただすとき 戦時下の治安維持法のもとで、当時の特高警察や思想検事による、不当な検挙・捜査・拷問が横行していた時代にあって、最後まで治安維持法の犠牲者たちの弁護人として活動した、静岡市生まれの弁護士海野普吉(うんのしんきち)の没後50周年を記念した集会が6月30日、静岡労政会館で開催されました。 実行委員会を代表して大橋昭夫弁護士は「この10年間は、『秘密保護法』『戦争法』『共謀罪法』が制定されるなど、憲法9条がないがしろにされ危機的な状況となった。海野先生が担当した戦前の最大の治安維持法事件「横浜事件」を問うことよって、今の時代を考え、戦前の過ちを再び犯してはならないとの思いを再確認したい」と挨拶しました。 記念講演は、内田博文九州大学名誉教授が「横浜事件と海野普吉と治安維持法の時代」と題して講演され、戦前の治安維持法のもとで思想弾圧が行われた経緯と、今日も「共謀罪法」などで民主主義が蹂躙されつつある状況に、危機感をもって対応することを指摘されました。 内田さんは、「治安維持法は、共産党その他の非合法左翼政党を取り締まる目的で1925(大正14)年制定されたが、法律には『国体変革』『私有財産制度否認』とあいまいに記し、適用の対象は検察官(思想検事)が事実上判断した。1928(昭和3)年には共産党がほとんどの活動を停止していたため、法改正を行い『結社の目的遂行のための行為』の罪を新設し、合法左翼政党や労働組合などを取り締まりの対象とした。さらに、1941(昭和16)年には『準備結社』や『支援結社』の罪を新設、自由主義や民主主義を標榜するサークル活動などのほか、『普通の国民の生活』も、準備結社目的遂行行為や支援結社目的遂行行為で取り締まりを行った。取り調べは弁護人をつけさせず、拷問による自白強要が当たり前で、治安維持法違反事件の被告を弁護する弁護士も治安維持法違反の罪に問われ、弁護士資格をはく奪され、刑務所に収監され健康を害して死亡するものも少なくなかった。こうした時代の中、1942年(昭和17年)『改造』に掲載された細川喜六の『世界史の動向と日本』の内容に軍部がクレームをつけ、捜査に当たった神奈川特高警察が、細川が富山県で開催した慰安会を『共産党再建準備会』にでっち上げ、記念写真をもとに関係者82名を検挙し、拷問によって事件をねつ造した。33名が起訴された裁判は関係書類も整わず、いい加減なものであった。弁護士も治安維持法に問われる中、海野普吉は一人で弁護に当たった。判決は1945年の敗戦直前に有罪が言い渡されたが、『共産党再建準備会』は一言も触れず、事件が架空のでっち上げであることは明白であった。」と、戦前の治安維持法のもとでの捜査や取り調べの問題点を指摘しました。 そのうえで、「戦後、4次にわたる再審で無罪を求めて争うが、治安維持法が廃止されたことを理由に「免訴」となり、無罪となっていない。刑事補償裁判では、裁判所が拷問とえん罪を認めたが、民事裁判であって刑事裁判では冤罪を認めていないことが問題である。歴史を正しく見ていくことが大事。治安維持法も共謀罪法も憲法違反であり、『違憲立法審査権』という、悪法を廃止させる手段がある。これを使わなければならない」と締めくくりました。 |
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